足尾銅山
2011年 12月 30日
今年もあと2日で終わる。
今年は
「なんとか無事に終わった…。」
と、いうような1年だったと思う。
今年も実家にて年越し。
実家に帰る時はいつも遠回り。
今回は久しぶりに群馬から足尾を抜け日光に入るルートを選択。
渡良瀬川沿いを走る銅山街道がメインだ。
雪の心配もあったが若干地面が凍っている部分があった程度でS2000を快調に走らせる。
足尾に入り途中 『足尾銅山観光』 に立ち寄る。
足尾はかつて銅山採掘で賑わい、その歴史は江戸時代からで400年ほどになる。
今は閉山し田中正造が訴えた公害事件など、負のイメージも大きいが日本の経済を支えた大事な場所だった。
その採掘総延長距離は1200Kmにもなるという。
観光はトロッコ列車で実際の採掘現場まで移動する。
来園者もほとんどおらず貸し切り状態…。
廃屋と化した銅精製所などの雰囲気と相まって何ともさびしい雰囲気だ。
採掘現場に入るとここからは徒歩での移動。
時代ごとの採掘現場の様子がわかり、徐々に機械などが入っていくようだが結局どの時代も過酷な状況で働いていたことに違いがないことがうかがえる。
この観光所では足尾のかつての繁栄ぶりも写真などで見ることができるが、実際足尾の街ではではその片鱗すら感じることはできない。
400年も繁栄した「銅採掘」と言う産業が今はこの場所に存在しない。
私が現在携わる自動車産業はどうか?
歴史はたかだか100年とちょっとだ。
この先何に取って代わられ、そして衰退していくなかわからない。
震災などでダメージを受けたが今は何とか立ち直りつつある。
しかしこの先もっと大きな障害、越えられない障害が待ち受けていることを知るべきだ。
足尾の街にたたずむ廃屋たちは私にそう訴えているように思えた。
今年は
「なんとか無事に終わった…。」
と、いうような1年だったと思う。
今年も実家にて年越し。
実家に帰る時はいつも遠回り。
今回は久しぶりに群馬から足尾を抜け日光に入るルートを選択。
渡良瀬川沿いを走る銅山街道がメインだ。
雪の心配もあったが若干地面が凍っている部分があった程度でS2000を快調に走らせる。
足尾に入り途中 『足尾銅山観光』 に立ち寄る。
足尾はかつて銅山採掘で賑わい、その歴史は江戸時代からで400年ほどになる。
今は閉山し田中正造が訴えた公害事件など、負のイメージも大きいが日本の経済を支えた大事な場所だった。
その採掘総延長距離は1200Kmにもなるという。
観光はトロッコ列車で実際の採掘現場まで移動する。
来園者もほとんどおらず貸し切り状態…。
廃屋と化した銅精製所などの雰囲気と相まって何ともさびしい雰囲気だ。
採掘現場に入るとここからは徒歩での移動。
時代ごとの採掘現場の様子がわかり、徐々に機械などが入っていくようだが結局どの時代も過酷な状況で働いていたことに違いがないことがうかがえる。
この観光所では足尾のかつての繁栄ぶりも写真などで見ることができるが、実際足尾の街ではではその片鱗すら感じることはできない。
400年も繁栄した「銅採掘」と言う産業が今はこの場所に存在しない。
私が現在携わる自動車産業はどうか?
歴史はたかだか100年とちょっとだ。
この先何に取って代わられ、そして衰退していくなかわからない。
震災などでダメージを受けたが今は何とか立ち直りつつある。
しかしこの先もっと大きな障害、越えられない障害が待ち受けていることを知るべきだ。
足尾の街にたたずむ廃屋たちは私にそう訴えているように思えた。
by soumei-a
| 2011-12-30 07:17
| I Love とちぎ ?